団体概要

 

   団体概要

 
団体名自由律俳句結社 新墾
設立年月日1954年
代表者小川洋子
所在地福岡県北九州市
  
 
    代表あいさつ

 自由律俳句結社 新墾のホームページにアクセス頂きありがとうございます。
 自由律俳句には、季語も必要無ければ、五七五といった形式もありません。自分の心の叫びを自分の言葉で素直に表現するものです。もちろん結果的に季語があってもかまいませんし、五七五の形式になっていても構いません。難しいルールは何もなく、言葉を自由に遊ばせてやればよいのです。 
 しかしこの「自由」というのがなかなかの難物で、逆に言えば季語に頼ることもできないし、五七五というリズムに頼ることもできません。子供たちにボールをひとつ与え、ルールを教えてあげればすぐにでも遊び始めるでしょうが、ボールをひとつ与えただけでさあ自由に遊びなさいといわれても、途方に暮れるばかりでしょう。そこが自由律の醍醐味だと私は思っています。
 ただし今の時代、かつて虚子と碧梧桐が争ったように、定型俳句と自由律俳句は対立的な立場にあるべきではありません。それぞれがあいまって俳句界全体を盛り上げ、次の世代に手渡しする時です。
 俳句は才能もお金もいらない知的なゲームです。初めは少し勇気が要るかもしれませんが、一度挑戦してみませんか。普段見慣れたはずの風景が、生き生きと眼に飛び込んできますよ。
                                代表 小川 洋子

 代表的な自由律俳句と鑑賞
 
うしろすがたのしぐれてゆくか                
                              種田山頭火
 
旅に一生のほとんどを費やした山頭火。旅行く自らの背中を見ることはできないが、多分目には見えない激しい雨にさらされているに違いない。
自らを俯瞰して自嘲した句です。  
このような心象的な句は、自由律の得意とするところです。
 
   
 
 
足の裏洗えば白くなる                 
                               尾崎放哉
 
真っ黒に汚れた自分の足。しかし水で洗えばこのようにきれいになる。私はまだ真人間であり、こうして白い部分も残っているのだ。
 
 
 
 
戦争が廊下の奥に立っていた           
                             渡辺白泉
 
戦争なんて忘れかけていた。もうどこにも居ないと思っていた。でも彼は、私たち人間のそばから決して離れようとしない。
 
 
 
 
鍬一丁の生涯 前も後ろも氷雨が降る         
                               小川素光
 
これまでも、そしてこれからも、ただ一人の百姓として生きていこう。いや生きていくしかないのだ。
小川素光は、新墾創刊者です。
 
 
 

新墾の歴史


歴代の代表を、ご紹介します。  

吉岡禅寺洞から教えを受け、1954年「新墾」を創刊した小川素光です。
東筑紫学園の国語教師として、生徒や教職員に指導し、北九州の地に自由律俳句を根付かせました。
   
  二代目代表の青木比呂。美術教師として勤務し、厳しくもやさしく、後進の指導にあたりました。  
  素光の「光」を俳号に持つ、三代目代表 重富架光です。自由律俳句発展のため、全国を飛び回る情熱の人でした。  
   架光を伴侶としても支えた4代目代表重富佐代子です。持ち前のポジティブな性格で、会員をぐいぐいと引っ張り続けました。東筑紫学園在学中から素光に師事し、のち家庭科教師として学園に奉職しました。